およそ 100 年前、大阪、東京、パリの 3 つの街に生き、短くも鮮烈な生涯を終えた画家、佐伯祐三(1898-1928)。 1924 年に初めてパリに渡ってからわずか 4 年余りの本格的画業の中で、都市の風景を題材とする独自の様式に達しました。
特に、一時帰国をはさんだ後の 2 回目の滞仏期に到達した、繊細で踊るような線描による一連のパリ風景は、画家の代名詞とされ、その比類ない個性は今までも多くの人を魅了し続けています。 私たちは、佐伯の絵画に向き合う時、風景に対峙する画家の眼、
筆を走らせる画家の身体を強く想起させられます。 そして、描かれた街並みの中に、画家の内面や深い精神性を感じ取ります。 それゆえ作品はしばしば、画家自身を映したもの―自画像にたとえられます。 本展では、佐伯が描いた「大阪」「東京」「パリ」の 3 つの街に注目し、画家が自らの表現を獲得する過程に迫ります。 |
会期: 2023 1/21 〔土〕→ 4/2 〔日〕 東京展は終了しました。 大阪・巡回展で開催。 |
'2023 1_20 「佐伯 祐三―自画像としての風景」 展覧会の概要説明会 & プレス内覧会の会場内風景です。 |
・No.010 佐伯祐三(1898-1928) 《 立てる自画像 》 1924 年 油彩、カンヴァス 80.5 x 54.8 大阪中之島美術館(※裏面に No.086 《夜のノートルダム(マント=ラ=ジョリ)》) |
「佐伯祐三―自画像としての風景」 |
―2023 1_20 プレス内覧会の説明会、プレスリリース 2023. 10 月、 「佐伯 祐三―自画像としての風景」 カタログよりの抜粋文章です― |
「展覧会の見どころ」 佐伯 祐三―自画像としての風景 / Saeki Yuzo: Emerging from the Urban Landecape |
目 次 / Contents |
―2023 1_20 プレス内覧会の説明会、プレスリリース 2023. 10 月、 「佐伯 祐三―自画像としての風景」 カタログよりの抜粋文章です― |
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第 1 章. 大阪と東京― 1 : 画家になるまで / BEFORE BECOMING AN ARTIST |
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1898 年 4 月、大阪府中津村(現:大阪市北区中津)の浄土真宗本願寺派の古刹、光徳寺の次男として佐伯祐三は生まれた。 |
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・右 No.015 佐伯 祐三1898-1928 《 河内打上附近 》 1923 年 油彩、板 24.5 x 33.7 大阪中之島美術館 |
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・1923 年 11 月、神戸港からパリへ出航した佐伯は、10 月中旬、渡仏の挨拶のため父の実家大阪府四条畷の浄土真宗本願寺派・光圓寺の住職浅見慈雲・叔父を訪れた。 No.015 《川内打上附近》、No.016 《川内燈油村附近》はその際描いた作品と考えられている。 佐伯がヴラマンクと出逢って開眼するフォーヴィスムの画風を予期させる。 |
画像をクリックすると 「2. 壁のパリ / 3. 線のパリ」 の章が大きな画像でご覧いただけます。 |
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第2章. パリ― 1 : 自己の作風を模索して / SEEEKING HIS OWN STYLE, 1924 |
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佐伯祐三のパリ時代は、1924 年 1 月からの約 2 年と、1927 年 8月からの約 1 年の 2 回にわたる。 ただし最後の 5 ヵ月弱は病の悪化により筆をもてなかったため、パリでの創作期間は合計してもわずか 2 年 7 ヵ月である。
その凝縮された画業の中で生まれた作品の多くが、パリの街並みを題材とする。 |
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・右 No.060 佐伯 祐三1898-1928 《 オーヴェールの教会 》 1924 年 油彩、カンヴァス 59.5 x 71.5 鳥取県立博物館 |
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・No.060 《オーヴェールの教会》オーヴェール=シュル=オワーズはゴッホ終焉の地として知られ、前田寛治や中山巍も里見勝蔵にヴラマンクとの衝撃的な出会いの翌日にゴッホ兄弟の墓に参り、ガシェ博士の所蔵する 20 点余りのゴッホ作品を見学した。 本作品はオーヴェールを再訪した際に制作されたもので、ゴッホの最晩年の作とほぼ同じアングル、構図で教会堂を描いており、ゴッホへのオマージュと言える。 |
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・佐伯祐三というとパリの壁のイメージが強い。 佐伯のスタイルは同じではなくその時期・時期の街、村、に行くと新しい表現、少しずつ自分のスタイルを変えている。 第一次パリ時代(1924~25)の 2 年間のあいだ、佐伯が画風を確立したのは 1925 年後半と考えられる。 下町のお店の壁を画面いっぱいに描くという「作品 No.077 《壁》」の画風を確立。 彼自身の審美眼でとらえた下町風景、壁・広告に執着。 第二次パリ時代(1927/8月~)の佐伯の心情の変化による作風の変化が現れる。 また、佐伯は早描きで絵を描くのが早く、1 ヶ月に 数 10 枚制作する。 1 日に 2 、3 枚描く、非常に速い。 線が躍動し生き生きと生命力の線になる。 やがてモランの作品では太く強い輪郭線、一気に線を描くので絵に躍動感を生み出している。 佐伯は、むしろスタイルとして早描きをしていた。 |
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第3章. ヴィリエ=シュル=モラン / VILLIERS-SUR-MORIN |
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1928 年 2 月、佐伯はパリから電車で 1 時間ほどの小さな村、ヴィリエ=シュル=モランに滞在し、新たな造形を模索した。 村の中心である教会堂をはじめ、至るところが題材となり、画面には力強く太い線と構築的な構図が復活する。 |
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・左 No.135 佐伯 祐三1898-1928 《 モラン風景 》 1928 年 油彩、カンヴァス 59.6 x 91.8 大阪中之島美術館 |
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・No.135 《モラン風景》 教会堂から南東に歩いた、民家の並ぶ一角を見たままに描いた作品である。 この場所は実際に右上がりの勾配で、佐伯は不安定な坂道にイーゼルを立てて描いたのであろう。 / ・No.138 《煉瓦焼》 モランの村はずれにある煉瓦焼の窯が描かれる。 佐伯の真価を最初に見出した収集家の山本發次郎が初めて目にして魅了されたのは本作であったという。 佐伯芸術の到達点であり、紛れもない傑作の一つである。 |
'2023 1_20 「佐伯祐三―自画像としての風景」 展覧会の概要説明会 & プレス内覧会の会場内風景です。 |
佐伯祐三―自画像 |
・右 No.001 佐伯 祐三1898-1928 《自画像》 1919 年頃 インク、紙 29.3 x 19.0 和歌山県立近代美術館 |
佐伯 祐三 SAEKI Yuzo (1898-1928) |
年 譜 (大阪中之島美術館編)から抜粋しています。 |
・1898 年 0 歳 4 月大阪府西成郡中津村(現:北区中津)の浄土真宗本願寺派・房崎山光徳寺 14 代住職佐伯祐哲(1862-1920)父と母タキ(1865-1944)の次男として生まれる。 |
東京美術学校西洋画科卒業後の 1923 年、巴里に向けて日本を出港。 翌年初夏、里見勝蔵の紹介で訪問したフォーヴィズムの巨匠ヴラマンクに「アカデミック!」と一喝され、作風を模索する。 やがてユトリロに触発され、壁の物質感を厚塗りの絵具で表現したパリの下町風景の連作を展開し、1925 年のサロン・ドートンヌで入選を果たす。 1926 年に一時帰国し、下落合の風景や大阪での滞船の連作を制作するも、日本の風景に飽き足らず、1927 年 8 月にシベリア鉄道経由で再渡仏。 パリの街並みを精力的に描き、広告の文字を題材とする繊細で跳ねるような線の表現で、独自の画境に達する。 1928 年 2 月に荻須高徳、山口長男らと近郊のヴィリエ=シュル=モラン村へ写生旅行。 3 月、パリ郊外の精神病院で 30 歳の若さで亡くなった。 |
お問合せ:03-3212-2485
美術館サイト:http://www.ejrcf.or.jp/gallery/ 主催:東京ステーションギャラリー [公益財団法人 東日本鉄道文化財団]]、読売新聞社 |
参考資料:Press Release 2022. 10 月、「佐伯 祐三―自画像としての風景」 カタログ、チラシ他。 |
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